TL;DR
- 運そのものに本質的な差はないと考えている
- それでも「運が良い人」という認識は生まれる
- 運が良く見える人は、失敗を運で終わらせない
- 小さな出来事を“当たり”として数えている
- 出来事の価値を前向きに変換している
はじめに
よく「運良いよね」と言われることがあります。だけど、自分では実感はありません。
どういう場面でそう感じるのかを聞いてみると「たしかに」と思い当たることもあります。ただ同時に、「その時は上手くいってたけど、普通に上手くいかなかった時もあるけどな」と思うことも多いです。
この違和感から、「運が良い人」という認識はどこから生まれるのかを考えてみました。
そんなにうまくいっていないこともある
例えば、初詣のおみくじです。
「いつも大吉を引いてるよね」と言われたことがありますが、実際には凶を2年連続で引いたこともあります。
また、新幹線でも「一緒にいるといつも自由席でも座れる」と言われたことがありますが、2時間立って移動したことも何度もあります。
うまくいかなかった出来事は、決して少なくありません。
それでも「運が良い人」という印象が残るのはなぜなのでしょうか。
そもそも、運にそんな差はあるのか
例えば、完全にランダムなくじ引きを100回引いたとして、「運が良い人」と「運が悪い人」で大きな差が出るとは思えません。
多少のばらつきはあると思いますが、それは確率の揺らぎの範囲です。
それでも「運が良い人」という認識が生まれるとしたら、問題は運そのものではなく、見え方や扱い方なのではないかと思います。
1. 失敗を「運が悪かった」で終わらせない
失敗したときに、「ツイてなかった」で終わらせることもできます。
しかし私は、できるだけ「何が悪かったのか」「次は何を変えられるのか」と考えるようにしています。
例えば、おみくじで凶を引いたとき。そのまま「運が悪い」と受け取ることもできますが、実際には引き直すこともあります。凶をそのまま固定しません。
新幹線についても、「いつも座れるよね」と言われますが、空いている時間帯を選ぶようにしています。完全に運任せというわけではありません。
運を待つのではなく、確率を少しだけ調整する
この小さな調整が、長期的には印象の差につながるのかもしれません。
2. 小さなことを“当たり”として数える
天気が良い日。コーヒーが美味しい日。仕事が想定より早く終わった日。
こうした出来事を「普通」として流すこともできますが、私は割と「今日はツイてる」と言葉にすることがあります。
そしてこれは一人のときだけではありません。
誰かと一緒にいるときにも、「ラッキーだね」と自然に口にしていることがあります。
その結果として、
一緒にいると前向きな人
なんだかツイている人
という印象が残るのかもしれません。
運の総量が違うのではなく、当たりとして数える閾値が違うだけなのかもしれません。
3. 楽しみを見つけるのが上手い
待ち時間を「退屈」と感じるか、「読書の時間」と捉えるか。
トラブルを「不運」と見るか、「良い経験」と捉えるか。
出来事は同じでも、意味の付け方は変えられます。
そしてこれも内面だけの話ではありません。誰かといるときに「良い経験したね」と言える人は、周囲から見ても物事をうまく回している人に見えます。
4. 物語の残り方が違う
失敗を繰り返し語れば、その人は「運が悪い人」として記憶されます。
小さな成功や前進を自然に語れば、「運が良い人」として記憶されます。
運の評価は統計ではなく、印象で決まる部分も大きいのではないでしょうか。
さいごに
目指したいのは、「運が良い人」になることではありませんが、
- 試行回数を増やすこと
- 失敗を運で終わらせないこと
- 小さな当たりを数えること
- 楽しみを見つけること
これらは意識して続けていきたいと思います。
もしその積み重ねが「運が良い」と見えるのであれば、それはそれで悪くありません。
運を変えることはできなくても、運の扱い方は変えられるのかもしれません。